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企業研究

4.1968年独立採算・事業部制の導入、経営工学的手法の経営戦略

■人・モノ・カネ・情報をシフトする戦略的経営。商才といわれるカギは情報にある

●関株式会社は90年を超す歴史を持つ。
 土佐の伝統文化である土佐和紙。明治43年(1910年)土佐市にて、この土佐和紙の販売業務を手掛けることからはじまる。
 大正11年(1922年)高知市に移り、「和から洋」へ大転換する大きな時代の変化をとらえることになる。土佐和紙の製造拠点で生産されたものを各地の消費地に卸すというメーカーサイドのスタンスを捨て、消費地に拠点を移す(消費者サイドへの)大転換であった。
●大消費地の生活文化は急激に洋風化する。その様を目の当たりにして、大きなビジネスチャンスをつかむこととなった。
 昭和2年(1927年)洋紙の取り扱いの開始である。公官庁の充実・産業の発展・書籍文化の拡大というニューウェーブ(用紙分野)を目の当たりにして、目先の利く商人らしい関株式会社の「次代をとらえた大転換」という、伝統的スタイルの形成がここにある。
●ところが逆に、すたれつつあるはずの和紙のルートにも意外な展開があった。1960年代のことである。時は、高度経済成長時代。大量消費文化の到来、量販店(スーパーマーケット)の登場である。
 創業以来、日用生活の必需品である京花紙(現在のトイレットペーパーやティッシュペーパーのようなもの)の卸先であった小売店が、量販店の登場により自然淘汰されていく。その量販店では食品を柱としながらも、もう一つの柱として家庭紙を中心とした一般家庭用品全般の品ぞろえを図ったのだ。これが消費者の大きな支持を得ることになる。
●和を捨て洋に走った。つまり家庭紙を捨てた(?)はずの関株式会社の中で、どんでん返しがはじまったのだから妙である。家庭紙部の設立、昭和38年(1963年)のことだった。

■人・モノ・カネ・情報をシフトする戦略的経営。経営工学に裏打ちされた英断

●これらの事業の転換や発展は、時代の変化にタイミングよく対応してきた証である。高度な経営判断によるものだ。
 和紙を中心とした生活文化から、洋紙製造技術の発展による生活への変化。また、印刷文化の発展、トイレットペ−パ−の登場にみられる生活様式の変化。これら物質文明の発展と時代の節目節目を的確に見通し、事業を発展させてきたのが関株式会社の歴史である。
●しかし、この商才に溺れることなく、さらに大転換を図ったのだからおどろかざるを得ない。
 それは、21世紀の流通業界で勝敗を決する人材戦略の仕掛けともなる、「独立採算・事業部制」の導入である。昭和43年(1968年)のことだ。
 先代社長・関頼次は流通と経営工学の本家アメリカの事情に精通していた。人・モノ・カネ・情報をシフトする戦略的経営。とりわけ要となる「人材戦略」の重要性を鋭くキャッチしていた。
 用紙部・資材部、そして家庭紙部を独立採算とする。つまり「3つの会社」とするといっても過言ではない。

■人・モノ・カネ・情報をシフトする戦略的経営。とりわけ要となった「人材戦略」

●3人の社長の誕生である。しかも、血縁は一切ない3人の社長が突然生まれたのだから、関株式会社は狂ってしまったのか、とさえ巷ではささやかれた。
   近代経営「資本と経営の分離」をこれほどまでに明確化できるこの手法は、当時の最高レベルの経営判断である。当時、この経営手法を理解できる者は多くはいなかった。
 次代を担う人材を育成する、との言葉を口にする多くの経営者の中で、本当の意味でそれを実践した経営者は多くない。現在、流通の大再編が進行する中にあって、自然淘汰されようとしている多くの卸売業者。30数年前のこの出来事が、覇者へのボタンであったことに気づく者は少なかった。
●さて、この人材の大抜擢。3人の新社長は身震いしたに違いない。
 人材を育成する手法として、これほどまで高度なシステムは他にあるのだろうか。関株式会社の新しい伝統の形成だ。広く人材を集め、度量のある人材の抜擢。決して血縁・同族・地縁で会社を動かしてはならない。
 平成10年(1998年)のことだ。21世紀を目前にしたある日、関株式会社の取締役会議は重大な意志決定をした。21世紀のビジョンに基づく新たな仕掛けである。この規模にしては数が少ないといわれる、取締役5名の内4名までが血縁のない社員からの昇格である。
●誰の目にも、開かれた会社、自分にもチャ ンスがある会社、と映るに違いない。